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Когда разгуляется ハレヨウトキ2

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とことこに

まま、きょうかえるのおそい?
あしたのあさは
ドーナツつくるってやくそくしたよねー
だいじょうぶ、つくるよ、
ミツバチハッチのアミーちゃんみたいに
ハチミツつけて食べる?

あーちゃんは、ままのたからものなの?
そうだよ
と答えると
ぐふふふ
と変な声出して笑って、
くねくね身を寄せてくる子どもに
自らの存在の意味を確かめ
頼り切っている母であるわたし

なのに

いてほしいときに
いてあげられないことがあってごめんね

今朝、5時起きで家を出ていこうとするわたしに
ままあさごはん食べる時間ないの?
バナナもっていきな!と
踏み台によじ登って一本ちぎり取り
手渡す4歳 

甘えんぼでぐずぐずで
やだやだ言い始め下手すりゃ1時間
ぎゃーぎゃーわめいて泣いて
手間のかかるやつのくせに
そんなことを言うようになって 


たまたま生まれ出たその場所で
たまたまそこで出会った人々の間で
日々を明るく照らす 子ども


あなたに対して恥ずかしいと思うような仕事は
ぜったいしないと決めているよ
そのルールが守れなくなったら 
もう、やめようと決めている


ままだいすきと言ってくれてありがとう

忙しいときに限ってだっこだっこって
ぶら下がってきてくれてありがとう

ままなんかきらーい!って絵本のまねして
アッカンベーの変な顔見せてくれてありがとう
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by hare2bare2 | 2010-08-13 00:50 | 家族

40年間

親と連絡を取らない人は、確かに「少数派」ではあろうが、
数にしたら、それほど少なくはないのではないでしょうか。
世の中には、様々な理由で親と生き別れる
(望んで、あるいは不可抗力で)
人たちが、一定数いるだろうと思います…。
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by hare2bare2 | 2010-08-13 00:11 | よのなか

行方不明

100歳以上がいないいないって大騒ぎしているけど…
全ての世代で、家族友人行政どこともつながっていない
「行方不明者」が大勢いるのがこの国だろうと思います。
人知れず生まれ、葬られている子どもたち、
ストリートの子どもたちだって、一体どれだけいることか。
見ないようにしてきただけです。
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by hare2bare2 | 2010-08-10 12:12 | よのなか

泣きたいときは---転載

確かに、衆人環視のもと、
子どもを思う存分泣かせるのって
ちょっとした勇気がいる。

雑踏、スーパー、電車の中。

一昨日行った公園では、
自動販売機のボタンを押したくて、
15分間ものすごい声で泣き続けてた。
ほしいねえ。
気持ちはわかるけど、今日は無理だよ。
水筒に梅ジュースまだ残っているし、ね。
「梅ジュースなんかもうやだ!」
早く帰りたい気持ちを抑えてなんども繰り返す。
ここで待ってるからおいで。
ベンチに座って、待つ。

ミーティング中の少年野球チームの子どもと親達が、
目を丸くしてじーっとこっちを見てる、そういうとき、
だいじょうぶ、私は自分のしていることをわかっていますからと、
余裕の笑みを浮かべられない人も、
それはたくさんいるだろうと思う。
わたしだって、できないときはできない。

食べて出して遊んで寝て…
泣いてわめいて笑って怒って…
そういう生き物としての子どもの営みを、
どうか暖かく見守ってください。
みんな、一度は子どもだったのだし、ね。


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きっと、だいじょうぶ。:/9 子どもの泣き声=西野博之

 わあーと大声をあげて泣く子どもの姿を、街角であまり見かけなくなってきた。少し前までは、電車の中でも、お店屋さんの店頭でも、子どもはよく泣いていた。

 「あのおもちゃが欲しい」「おなかがすいた」「まだおうちに帰りたくない」……。泣くことは、子どもの大事な自己表現であり、自分の思いを、親や周りの大人に訴える唯一の手段なのだと思う。

 一方、親のほうは、なだめたりすかしたりしながらも、どうしたって子どもの要求をかなえることができないときは気がすむまで泣かせておいた。「欲しいのねー、でも今日は買わないよー」。やがて子どもは泣き疲れて眠ってしまったり、何で泣いているのかも忘れてしまったり。

 その親子のやり取りに、周囲の大人たちは寛容だった。「子どものあたりまえの姿だよ。よくあることさ」「泣いてわめいて、子どもは成長していくのよ。順調に育っているわよ」。ダダをこねる子どもへも親たちへも、優しいまなざしを送っていた。

 最近は、ちょっと事情が変わってきている。周囲の大人の目線が厳しくなった。「母親がそばにいるのに、なんで泣かせ続けるんだ。非常識だろ」「うるさくて落ち着かない。なんて迷惑なんだ」。有言無言のさまざまなプレッシャーに耐えかねて、親たちは子どもの泣き声を抑えつける。「静かにしなさい」と叱(しか)りながら、仕方なく子どもの要求のままに物を買い与えたり、すごい形相でひっぱたいたり。目の前の子どもの成長にとってどうしたらいいのか、じっくり考えて向き合う余裕などなくなる。親である私が、周りからどう評価されるかを優先してしまう。

 連日の虐待報道で、まじめな親たちがナーバスになっている。子どもを泣かせてはいけない。家の中で泣き声が続くと通報されてしまうかもしれない。とにかく子どもを黙らせなくては。窓を閉め、カーテンを引き、泣き声が外に漏れることにも怯(おび)えている。ひりひりとした緊張感は、子どもの育ちを確実にむしばんでいく。悲しいとか悔しいとかいう感情を、素直に表現できないまま、大人になってしまうのではないだろうか。

 本当は親だって、大声をあげて泣きたいんじゃないのかなと思う。

 子どもの泣き声を監視する社会になれば、密室の中で追い詰められた親によって、むしろ新たな虐待が生み出されるのではないだろうか。

 子どもも親も、安心して泣ける社会でありたいものだ。(NPO法人フリースペースたまりば理事長)=次回は29日

毎日新聞 2010年8月8日 東京朝刊
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by hare2bare2 | 2010-08-10 06:27 | よのなか